生野銀山に行く

みなさん、こんにちは。
作品のアップが約1か月遅れております。

実は三菱マテリアル株主優待の一つに生野銀山の無料入場券が送られてきます。
私は興味があり、当初は身の回りの人を誘いました。なかなかタイミングが合わず、遠いので無理だと思っていました。
春に行けそうだったのですが、新型コロナウイルスの広がりで再度中止に、でもやっと実現しました。

パートナーは前に加入していた語り部クラブの頭脳とも言われるN氏でブログや何かを教えてもらった方です。
朝和歌山を8時過ぎに出発。
私no
事前の調べでは、中国自動車道の福崎Jを北に行けば、よいというくらいの知識でした。
でもその前に阪神高速の池田から中国自動車道に入るつもりでした。
間違えて近畿自動車道に入り、吹田から中国自動車道に入りましたが結果オーライ!
彼は昔開催された万博の吹田には興味を示し、まだある太陽の塔には喜んでくれた。
同じことはあるのですね。
生野を降り一般道路を走っていると知らない土地で、三菱マテリアルの会社がある。
てっきりこの地下がそうだろうと守衛さんに聞くとアポイントがいりますというので外で電話をすると、まだそこから北に走るとありますという。ありました。広い駐車場に車を置き,ほっとして周囲の写真を撮り入り口へ行く。

ここでちょっと小話が入ります。
受付の女性に無料無料のプリントを見せてスタンプを押してもらいます。

また保存した写真が出てこない。これがあると楽なのだが、仕方がない。

IMG_4078f.jpg

私は外で女性に話しかけるときは総称として”おねえさん”という言葉で話しかける。
入り口に生野代官所”という大きい看板が見えた。

そこで”代官所=江戸町奉行所”に置き換えた。
おねえさんのお料理とかけて、
江戸町奉行の大岡越前の守と解きます。
そのねえさんもユーモアを介する人で、「それでその心は?」と聞きます。
私はすかさず、”裁くのがうまいでしょう!”  一同大笑い。(3人だけだが・・・)

銀山の地下の坑道の写真がないと、まるで気合の抜けたビールではないか。  全く!


鍾乳洞は去年岐阜県の伊吹山に行った帰り入ったことがある。

そこでも坑道を見て回ったが規模が違う。

生野銀山の歴史は古く、大同2年(807年)に発見されたという。
室町時代に収めていた山名氏時代に本格的に銀の採掘がはじまり、そのあとの政治の権力者が継続してきました。
江戸時代には「銀山奉行」を設置する。明治時代になりフランス人技師のフランソワ・コワニエが先進的な技術で飛躍的な近代化を遂げます。
明治29年に今の三菱マテリアルに払い下げがあり+、昭和48年に閉山します。
総延長は350キロにも及び。深さは880メートルもあるという規模で、一部が観光坑道としてみることができます。
昭和49年史跡生野銀山オープン後、平成26年には国の重要文化的景観に選定、その3年後には日本遺産に認定されています。
(頂いたパンフの資料より抜粋しました)


入り口には菊の御紋のある柱があり、ここから掘り出される銀の運ぶ鉄道も開通する。
生野~姫路・播磨港間には播但鉄道も開通する等近代化が進みました。
この日は確か土曜日でしたが、メインのレストランは休みで、一般の銀山食堂に入りました。
ここでは小話でなく、同僚が地元有田のみかんを仕事をしていたおばさんにプレゼントします。
その時は私も”裁くのが上手いでしょう”とは言わないで彼の持ってきたみかんを頂きました。
ゆっくり見学をしても1時間くらい、帰りに土産物店で、連れ合いに銀のブレスレットかネックレスでも買おうと思いましたが、よく考えるともういないので出石蕎麦を買いました。あまり関係ないな!

ここで見た紅葉は”のむら紅葉”といい赤みがぐっと濃い葉っぱでした。
彼はそこより北にある竹田城には行ったことがあるので、帰路になります。
彼に車の事を教えてもらいますが私は一人旅が多いので、残念ながら耳に入りません。
約300㌔を7時間弱で無事帰って参りました。

たまには男同士の旅もよいのですが、奥さんの居る人が横にいるとやはり疲れます。

前作の息子の新居でも写真が無くいまだに分らず困っています。

その代り今日は映画も短歌もアップしませんが、燦短歌会に送っている歌が何と表紙の次のページに出ていまして、しかもその評を先生の筆頭弟子ともいえる方が講評されているという。
まさに”驚き”、”桃の木”、”山椒の木”でございます。

いやぁ、疲れますね!
みなさんもこんなジイジと付き合っていると疲れることでしょう。
寒くなってきますのでお身体にはご注意をして下さい。




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