母なる紀ノ川に架かる橋
10月も1週間が過ぎました。
丁度この3連休に当たる7日に、私の加入している和歌の浦万葉薪能の会の”薪能”が
20周年の節目になるので『野村萬斎師』を迎え、絶好のコンディションの中開演されました。
この話題は後日アップすることもあると思います。
これは前回アップした紀の国大橋より南海鉄橋を写したものです。
風格があります。
”南海鉄橋橋(なんかいてっきょうはし)"
"
型 式: トラス3連
橋脚P: 18
所在地: 和歌山市
施工年: 上り・1903年(M36年)3月
下り・1922年(T11年)
橋長 : 627㍍
複線 : 1910年(この資料がちょっと分らない。下り線の1年前に
できていたという事だろうか?)
軌間 : 1067mm
ここでちょっとケチをつけるわけではないが、実は南海鉄橋が耐震性で危ない!サザンの特急を市駅まで走れない。難波・岬公園駅で折り返し運転するといううわさが流れた。
つまり和歌山市民の通勤者は市駅から岬公園駅まで2両の各停で行き、そこでサザンの特急に乗り換えるという話がまことしやかに人から人へと伝わった。
最初にお話ししたように左側が上り線です。上の写真は左岸の線路内から、下の写真は橋の下側に降り撮影する。
上り線はアメリカン・ブリッジ製の中々モダンな橋です。
その後これはえらいことだというわけで、”鉄道総合技術研究所(JR総研)が再度調査をした
結果支障がないという事で、これまで通り運航することになる。
それで市民の方からも安心して最初の噂ともいう情報は聞かれなくなった。
南海鉄橋は左岸の方からの方が写しやすく、全部左岸からで下り線を走る加太線の鯛電車です。
安心は出来ません。何と言っても130年近く走っていますので、次の対策をお願いします。
北島橋です。1年前の写真を出してきましたが、一番思い入れのある橋です。
後方は大阪府との府県境の和泉山脈です。
”北島橋(きたじまばし)
型 式: トラス5連
橋脚P: 13
所在地: 和歌山市
施工年: 1935年(S10年)
橋 長: 620.5㍍
幅 員: 11.2㍍
補 足: 1988年(S63年)拡張する
北島橋は何と言っても紀ノ川の北側に住む人が、市内の中央部に入るための一番のメインの
橋です。でもバスが通る。少し早くから動き出したゴミ取集車が定期的に止まる場所では、
確実に車がストップします。昔からの片側1車線ですから何と言っても大変です。まして雨の日などは、いつも交通情報で上り線は、500㍍の30分近くかかり、魔の県道でした。勤務先も近くにあり、雨の時には通常よりも1時間くらい早く出ました。
いずれも下流方面から写す。
そんなことで下流に出来たR26号線や、前回とりあげた紀の国大橋、それと河口に出来た
紀の川河口大橋に分散するようにできましたが、北島橋の混雑はあまり変わりません。
もう一つ古い思い入れを書きます。
私は結婚して紀ノ川の北部に新居を構えるまで、旧市という市の中心部に住んでいました。
細工町、東高松で小学校と中学校である遠足は、必ず北島橋を通りました。北島橋を通ると市外に出た遠足という感じがしたものです。もう一つは紀ノ川の左岸の川辺で水連学校がありました。確か南海鉄橋と北島橋の間だったと思います。小学校の時にすぐ上の兄と一緒に通いました。まるで駄目だった記憶があります。どういうわけか知りませんが紀ノ川での学校はダメとなり(水難事件でもあったのかもしれません)、海の水連学校に通う事になりました。
その話は今回の紀ノ川とは縁がありませんから省略します。
着替えをする場所もなく、田舎そのものだった記憶があります。泳ぎの方は結局高校時代にならないと泳ぐとは言えなかったようです。
もう一つは兄弟と友達で、秋になるとハゼを釣りに言った事です。
今の餌は知りませんが、下の私たちが餌になるゴカイをとるのです。先に行き砂を掘ると、
ゴカイがいたのです。でも我々の努力では足りないという事で餌はいつも買ってきていました。釣る方はまぐれかどうか知りませんが、互角に釣った気がします。
勿論当時は釣った魚が小さくても持って帰りました。するとおふくろは小さいのは干して煮干しのようにしたと思います。大きいのはその日の夕食に出ました。懐かしい時代もありました。
今回のレポートはいくら近くになったと言っても、初めて雨の中で2時間行動しました。
この状態で行きますと、残りは3つの橋となります。頑張ります。 続く
丁度この3連休に当たる7日に、私の加入している和歌の浦万葉薪能の会の”薪能”が
20周年の節目になるので『野村萬斎師』を迎え、絶好のコンディションの中開演されました。
この話題は後日アップすることもあると思います。
これは前回アップした紀の国大橋より南海鉄橋を写したものです。
風格があります。
”南海鉄橋橋(なんかいてっきょうはし)"
"
型 式: トラス3連
橋脚P: 18
所在地: 和歌山市
施工年: 上り・1903年(M36年)3月
下り・1922年(T11年)
橋長 : 627㍍
複線 : 1910年(この資料がちょっと分らない。下り線の1年前に
できていたという事だろうか?)
軌間 : 1067mm
ここでちょっとケチをつけるわけではないが、実は南海鉄橋が耐震性で危ない!サザンの特急を市駅まで走れない。難波・岬公園駅で折り返し運転するといううわさが流れた。
つまり和歌山市民の通勤者は市駅から岬公園駅まで2両の各停で行き、そこでサザンの特急に乗り換えるという話がまことしやかに人から人へと伝わった。
最初にお話ししたように左側が上り線です。上の写真は左岸の線路内から、下の写真は橋の下側に降り撮影する。
上り線はアメリカン・ブリッジ製の中々モダンな橋です。
その後これはえらいことだというわけで、”鉄道総合技術研究所(JR総研)が再度調査をした
結果支障がないという事で、これまで通り運航することになる。
それで市民の方からも安心して最初の噂ともいう情報は聞かれなくなった。
南海鉄橋は左岸の方からの方が写しやすく、全部左岸からで下り線を走る加太線の鯛電車です。
安心は出来ません。何と言っても130年近く走っていますので、次の対策をお願いします。
北島橋です。1年前の写真を出してきましたが、一番思い入れのある橋です。
後方は大阪府との府県境の和泉山脈です。
”北島橋(きたじまばし)
型 式: トラス5連
橋脚P: 13
所在地: 和歌山市
施工年: 1935年(S10年)
橋 長: 620.5㍍
幅 員: 11.2㍍
補 足: 1988年(S63年)拡張する
北島橋は何と言っても紀ノ川の北側に住む人が、市内の中央部に入るための一番のメインの
橋です。でもバスが通る。少し早くから動き出したゴミ取集車が定期的に止まる場所では、
確実に車がストップします。昔からの片側1車線ですから何と言っても大変です。まして雨の日などは、いつも交通情報で上り線は、500㍍の30分近くかかり、魔の県道でした。勤務先も近くにあり、雨の時には通常よりも1時間くらい早く出ました。
いずれも下流方面から写す。
そんなことで下流に出来たR26号線や、前回とりあげた紀の国大橋、それと河口に出来た
紀の川河口大橋に分散するようにできましたが、北島橋の混雑はあまり変わりません。
もう一つ古い思い入れを書きます。
私は結婚して紀ノ川の北部に新居を構えるまで、旧市という市の中心部に住んでいました。
細工町、東高松で小学校と中学校である遠足は、必ず北島橋を通りました。北島橋を通ると市外に出た遠足という感じがしたものです。もう一つは紀ノ川の左岸の川辺で水連学校がありました。確か南海鉄橋と北島橋の間だったと思います。小学校の時にすぐ上の兄と一緒に通いました。まるで駄目だった記憶があります。どういうわけか知りませんが紀ノ川での学校はダメとなり(水難事件でもあったのかもしれません)、海の水連学校に通う事になりました。
その話は今回の紀ノ川とは縁がありませんから省略します。
着替えをする場所もなく、田舎そのものだった記憶があります。泳ぎの方は結局高校時代にならないと泳ぐとは言えなかったようです。
もう一つは兄弟と友達で、秋になるとハゼを釣りに言った事です。
今の餌は知りませんが、下の私たちが餌になるゴカイをとるのです。先に行き砂を掘ると、
ゴカイがいたのです。でも我々の努力では足りないという事で餌はいつも買ってきていました。釣る方はまぐれかどうか知りませんが、互角に釣った気がします。
勿論当時は釣った魚が小さくても持って帰りました。するとおふくろは小さいのは干して煮干しのようにしたと思います。大きいのはその日の夕食に出ました。懐かしい時代もありました。
今回のレポートはいくら近くになったと言っても、初めて雨の中で2時間行動しました。
この状態で行きますと、残りは3つの橋となります。頑張ります。 続く










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