和歌山一周の旅後編
前回の続きです。
始めにも書きましたが、宿泊は考えていませんでした。息子のアドバイスがよく泊まることにします。どこが良いかと考えますと、皆さん方は南紀の温泉を考えますよね。串本温泉の浦島という宿で望希洞に入りますと、海側に行くと男女混浴になることが出きる?はたまたひなびた温泉が良い?私は別の選択をしました。宿泊なら新宮市に泊まろうとね。
宿泊した新宮駅のすぐ近くにある”ステーションホテル”から見た早朝の駅です。素泊まりでも駅前なら食事の心配はないでしょう。写真では見えませんが、左の奥の方にあるのが目的の一つの神倉神社です。
新宮駅は田舎ですが、JRの両者が走ります。JR西は京都から特急くろしお号が・JR東海は
特急南紀が新宮駅に乗り入れています。
実は20年ちょっと前に息子が新宮で奉職していたのです。そこで参加したのが後でも書きますが”神倉神社”の大きな祭りの御灯祭り(おとうまつり)です。
少し説明が長くなりますが、お付き合いください。
徳川家康の10番目の息子=頼宣(よりのぶ)公の付家老の一人としてきたのが水野重仲です。若い殿様のお守りと政治を司る手伝いを任されたと思います。水野氏が作ったお城を場所からして新宮城・沖見城・丹鶴城と呼ばれます。現在は城跡だけですが、新宮市では再建計画を進めているようです。桜の綺麗な公園で見晴らしは良い所です。
ホテルから近くであまり長居はしませんでしたから、人には会わなかったですね。
続いて行ったのは”神倉神社”です。普段一般の方はあまりご存じないと思います。
古い話をしましょう。この神社の大きな神事の一つに”御灯祭り”があります。息子の職場の人達と参加するという事を聞き、私はまだ仕事をしていましたが、カレンダーが良かったか、又指定の休日をとったと思います。私もまだ寒さには負けない体力で新宮に行きました。勿論白装束に着替えて”上り子(あがりこ)”として参加するつもりはありません。又その少し前にNHKの特集番組でこの”御灯祭り”を流していましたのを見て、是非行こうと思いましたね。
毎年2月6日に行われ、参加者は男性だけだそうです。
少なくともその当時新宮に宿泊したという記憶はありません。終わってから息子を乗せて自宅まで深夜に帰ったような気がします。
祭りの1週間前にこの”ゴトビキ岩”のしめ縄が張り替えられるそうです。参加する男達は白装束、白い手甲脚絆を付け、白い鉢巻に腰から腹には荒縄を巻き。手には五角形の檜板にケズリカを詰めた松明を持っているのが通常だ。その男達は集合場所になる所までに会う人どうして松明をぶつけ合いをするのが挨拶だそうだ。
初詣の時に、一番籤をもらうために門を開けると足に自慢のある人がダッシュするというのがありますね。ここの階段は狭いそして段差がバラバラで、とても慣れた方でも大変です。
幸い息子達のグループは後尾から掛け声を出して降りて来るだけだったので、けがはなかったようだ。その松明が下って来る様子が遠くから見ると”下り竜”と言われるそうだ。
実際にその場所・舞台を初めて歩いて登り・降りしただけでも大変だった。
神倉神社にお参りしたかったので、新宮市の宿泊となったわけです。
御灯祭りは介錯と言われる方がまだその前後にすることがあるそうですが、上り子達が全員下ってきた段階で一般的にお祭りが終わりだそうで、下で待っていた女性と家に帰るそうです。そこでやっと食べるものも白い物以外の物を食べることが出来るわけです。(お酒もね)
二つ目の三山のお宮です。新宮速玉大社です。入口に佐藤春夫氏の記念館がありましたが、時間が早かった関係で入れませんでした
早いので巫女さんが掃除をしていました。八咫烏は本宮大社にあるのでは?と聞きますと、そっけなくこちらにもありますと言われ、朝早くからご苦労さんですとしか言えなかった。
内宮というのでしょうか?写真撮影禁止と書いていましたが、誰もいないのでパチリ。
少し黒いので分りにくいと思います。椥の木(なぎのき)速玉大社のご神木です。和歌山城にもありまして、ゆとりのある方にお話をします。椥の木の葉っぱを付けまして・・・。
これからは国道168号線を北上して帰るだけなのでゆとりです。ただ道が狭かったり、広くなったり工事をしていまして片側交互通行だったりして、時間はかかりました。
熊野本宮大社です。こちらには何度も来ていますので、あまり時間はかかりません。川の中ほどに建っている大斎原(おおゆのはら)を見てまた北上するだけです。
最後の観光地は”谷瀬のつり橋”(たにぜのつりはし)です。十津川町に架かるつり橋です。
知られていないのはこのつり橋は十津川町の町民の私財を投じて作られたもので当時のお金で800万円もかかったそうです。駐車場の代金はいりますが、つり橋は無料です。
上の写真は下流を、下の写真は上流を写しています。
以前に来た時より、川の水かさが少なく、迫力に欠けましたのは残念です。
所で五條市に行った時に”五新線”という鉄道の名残がありました。新宮を離れる時に市役所に行き聞きました。「新宮市に五新線の名残はありませんか?」答えは「えっ!聞いた事もありません。」「さようなら。」
五條市に入りいつもの通り京奈和道路を走り、自宅に着くと420㌔。
車の調子も良く、帰るとセラも横の入り口で尻尾を振って待っていてくれました。土産も買いませんでしたから、早速散歩に行きました。セラも1泊までなら大丈夫の様だ。
少し長くなり、お疲れさんでした。写真を使えると気分的にも余裕ができはかどります。
始めにも書きましたが、宿泊は考えていませんでした。息子のアドバイスがよく泊まることにします。どこが良いかと考えますと、皆さん方は南紀の温泉を考えますよね。串本温泉の浦島という宿で望希洞に入りますと、海側に行くと男女混浴になることが出きる?はたまたひなびた温泉が良い?私は別の選択をしました。宿泊なら新宮市に泊まろうとね。
宿泊した新宮駅のすぐ近くにある”ステーションホテル”から見た早朝の駅です。素泊まりでも駅前なら食事の心配はないでしょう。写真では見えませんが、左の奥の方にあるのが目的の一つの神倉神社です。
新宮駅は田舎ですが、JRの両者が走ります。JR西は京都から特急くろしお号が・JR東海は
特急南紀が新宮駅に乗り入れています。
実は20年ちょっと前に息子が新宮で奉職していたのです。そこで参加したのが後でも書きますが”神倉神社”の大きな祭りの御灯祭り(おとうまつり)です。
少し説明が長くなりますが、お付き合いください。
徳川家康の10番目の息子=頼宣(よりのぶ)公の付家老の一人としてきたのが水野重仲です。若い殿様のお守りと政治を司る手伝いを任されたと思います。水野氏が作ったお城を場所からして新宮城・沖見城・丹鶴城と呼ばれます。現在は城跡だけですが、新宮市では再建計画を進めているようです。桜の綺麗な公園で見晴らしは良い所です。
ホテルから近くであまり長居はしませんでしたから、人には会わなかったですね。
続いて行ったのは”神倉神社”です。普段一般の方はあまりご存じないと思います。
古い話をしましょう。この神社の大きな神事の一つに”御灯祭り”があります。息子の職場の人達と参加するという事を聞き、私はまだ仕事をしていましたが、カレンダーが良かったか、又指定の休日をとったと思います。私もまだ寒さには負けない体力で新宮に行きました。勿論白装束に着替えて”上り子(あがりこ)”として参加するつもりはありません。又その少し前にNHKの特集番組でこの”御灯祭り”を流していましたのを見て、是非行こうと思いましたね。
毎年2月6日に行われ、参加者は男性だけだそうです。
少なくともその当時新宮に宿泊したという記憶はありません。終わってから息子を乗せて自宅まで深夜に帰ったような気がします。
祭りの1週間前にこの”ゴトビキ岩”のしめ縄が張り替えられるそうです。参加する男達は白装束、白い手甲脚絆を付け、白い鉢巻に腰から腹には荒縄を巻き。手には五角形の檜板にケズリカを詰めた松明を持っているのが通常だ。その男達は集合場所になる所までに会う人どうして松明をぶつけ合いをするのが挨拶だそうだ。
初詣の時に、一番籤をもらうために門を開けると足に自慢のある人がダッシュするというのがありますね。ここの階段は狭いそして段差がバラバラで、とても慣れた方でも大変です。
幸い息子達のグループは後尾から掛け声を出して降りて来るだけだったので、けがはなかったようだ。その松明が下って来る様子が遠くから見ると”下り竜”と言われるそうだ。
実際にその場所・舞台を初めて歩いて登り・降りしただけでも大変だった。
神倉神社にお参りしたかったので、新宮市の宿泊となったわけです。
御灯祭りは介錯と言われる方がまだその前後にすることがあるそうですが、上り子達が全員下ってきた段階で一般的にお祭りが終わりだそうで、下で待っていた女性と家に帰るそうです。そこでやっと食べるものも白い物以外の物を食べることが出来るわけです。(お酒もね)
二つ目の三山のお宮です。新宮速玉大社です。入口に佐藤春夫氏の記念館がありましたが、時間が早かった関係で入れませんでした
早いので巫女さんが掃除をしていました。八咫烏は本宮大社にあるのでは?と聞きますと、そっけなくこちらにもありますと言われ、朝早くからご苦労さんですとしか言えなかった。
内宮というのでしょうか?写真撮影禁止と書いていましたが、誰もいないのでパチリ。
少し黒いので分りにくいと思います。椥の木(なぎのき)速玉大社のご神木です。和歌山城にもありまして、ゆとりのある方にお話をします。椥の木の葉っぱを付けまして・・・。
これからは国道168号線を北上して帰るだけなのでゆとりです。ただ道が狭かったり、広くなったり工事をしていまして片側交互通行だったりして、時間はかかりました。
熊野本宮大社です。こちらには何度も来ていますので、あまり時間はかかりません。川の中ほどに建っている大斎原(おおゆのはら)を見てまた北上するだけです。
最後の観光地は”谷瀬のつり橋”(たにぜのつりはし)です。十津川町に架かるつり橋です。
知られていないのはこのつり橋は十津川町の町民の私財を投じて作られたもので当時のお金で800万円もかかったそうです。駐車場の代金はいりますが、つり橋は無料です。
上の写真は下流を、下の写真は上流を写しています。
以前に来た時より、川の水かさが少なく、迫力に欠けましたのは残念です。
所で五條市に行った時に”五新線”という鉄道の名残がありました。新宮を離れる時に市役所に行き聞きました。「新宮市に五新線の名残はありませんか?」答えは「えっ!聞いた事もありません。」「さようなら。」
五條市に入りいつもの通り京奈和道路を走り、自宅に着くと420㌔。
車の調子も良く、帰るとセラも横の入り口で尻尾を振って待っていてくれました。土産も買いませんでしたから、早速散歩に行きました。セラも1泊までなら大丈夫の様だ。
少し長くなり、お疲れさんでした。写真を使えると気分的にも余裕ができはかどります。























この記事へのコメント
キチンとおさまってた☺
新宮は、徐福の不老不死公園、谷瀬の吊りはしは、夏に涼みがてら俳句🈶万緑や谷瀬の吊りはし 揺れ止まず 懐かしい😃
ゴトビキ岩を見た時はその大きさと座っている場所にびっくりしました。
正に神様が降臨するにふさわしい磐座ですね。
新宮の町名の由来はここからお宮を移したからとか・・?
御灯祭りで若者たちが降る階段は頼朝が寄進したのだったかな?
旧い話で記憶が定かでありません。
少し日程が立て込み失礼しました。
現場に行き、初めて凄いと思いました。
あれは若者のすることです。
新宮はなかなか魅力のある所です。
あれからくしゃみが止まりませんでした。
わかるかな?
でもよかった!
徐福のことはすっかり忘れていました。
鈴饅頭も忘れましてすみません。
新宮まで詳しいのですね。
流石博士といわれるだけの方だ。
水野家のお城の規模は、
予想以上に大きかった。
現在3万以下の人口の市では、
再建は難しいだろうな。
それより前日の二つの灯台を
見ましたが、友ヶ島の活字はなし。
寂しい!