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zoom RSS 母なる紀ノ川に架かる橋

<<   作成日時 : 2018/10/15 21:48   >>

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今日は取り上げますのは”河西橋(かせいばし)です。
前回の北島橋と同じように思い入れがあります。
本文の中でも取り上げますが、この橋は加太軽便鉄道(加太線)と切っても切れない縁があります。後程取り上げますので、まずは橋から書きます。

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左岸河口より撮影する


           ”河西橋(かせいばし)”
               型 式 :  桁
               橋脚P :  24
               所在地:  和歌山市
               施工年:  1954年(S29)
               橋 長 :  478.3b
               幅 員 :  2.8〜3.5b
              補足:  1950年(S25ジェーン台風で一部流失橋脚がある。
                    流失橋脚補修で歩行者と2輪車専用)

                    1914年(T3)加太軽便鉄道として使用

              ダブル補足: その橋脚が一部傾いたので、2023年頃に利用できる
                       様に少し下流に建設工事が始まっている。

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上は左岸より、また下は右岸より撮影する

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上は右岸より、また真ん中は左岸より、最後は左岸より橋を写す。真ん中の写真の道路標識の左7番目が少し傾いているので再度建設し直すことになる。


河西橋語る時には、当然加太軽便鉄道が避けることはできません。
私は語り部をさしてもらうようになり、いささか生意気ですが30分から1時間くらいの時間を取りさまざまな場所で講演(大げさですが)することがあります。
加太軽便鉄道を語る前にお客さんに必ずお聞きすることがあります。
『明治45年のお生まれの方は現在おいくつでしょうか?』
最初から質問を浴びせられて皆さんお考えになりますが、なかなか身近にその年にお生まれになったご老人がいないと分りませんよね。
『失礼しました。実は106年になります。つまり今日お話をしようとしています加太軽便鉄道が
6月に走り出して106周年になるのです。』

ただ今のような路線ではありません。又運行会社も変わっています。時代の背景も変化していますので、簡単に申し上げます。
加太の町は以前にも書きましたが、奈良時代より南海道という5街道がありました。
淡島神社にお参りに来られる方、友ヶ島から四国に渡るルートもありました。明治時代になりますと、友ヶ島に要塞、又加太の方には深山要塞も築かれました。

明治43年野崎村字北島から海草郡加太村に鉄道を依願する申請が出され、明治45年に認められました。
ただ本来は紀ノ川を越えて人が多い和歌山の方に行くのが目的です。
再度地元の議員さん達が、市駅に乗り入れを申請しまして、念願の和歌山市に入ります。

聞いた話ですが。加太の新鮮な魚や貝、野菜を運び、市駅に置いているリヤカーや大きい荷物台のある自転車、かついで販売等を使い商売をされたようです。


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右岸道路も拡張され走りやすくなりました。上方に見えるのは北島橋です。

もう一つ北島橋の事も前回で少し簡単すぎましたので書いておきます。
加太軽便鉄道が野崎村字北島が最初の出発点となっているでしょう。出来た当時はもう少し東側の北島橋の方だったと言われています。
北島橋は街道が東西と南北に交差します交通の要所だったそうです。橋のないころは、
対岸の宇治との間を渡し舟で結ばれていました。
紀伊続風土記によりますと、川幅8町、渡し舟四艘と書かれています。

最後にもう一つ関連のある事を書いて、今回の”河西橋”の事を〆たいと思います。
直接河西橋とは関係はないのですが、加太軽便鉄道を使った引き込み線がありました。
現在の加太線となったのは新日鐵住金の引き込み線を使いました。
上の写真でバイクの後ろ姿があるでしょう。このところを加太軽便鉄道が走っていました。
所がジェーン台風で壊れましたが、軍需物資をこのような狭い場所と思い荷物が走れません。新日鐵住金は市駅から直接工場に走らせていたのですよ。(社員も乗せてね)
S17年に作られた住金は人造石油(液化石炭)製造用反応筒の生産を目的として建設されます。戦時下の事で軍需産業になって行ったのだと思います。S20年の空襲で和歌山市が狙われたのは、住金潰しが目的だったようです。
この二つの大きい話題を、私の身のまわりにいる友人から教えてもらいました。
加太軽便鉄道では鉄道を建設された方の三代末裔の方から資料やお話を聞くことが出来ました。新日鐵住金(地元の人はほとんど住金と言います)の方では多くの会で住金OBの方から情報を頂きました。ここで改めてお礼を申し上げます。

後2回で何とか紀ノ川河口に着きそうで。          続く

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
セラ吉さん、こんばんは~♪
本当に色々よく勉強されましたね。
机上の空論でなく、自ら足を運んで納得いくまで観察されて書かれているので、実用書としても参考になります。
後、2回、頑張ってください。
のん
2018/10/15 22:40
セラ吉さん ご苦労様です。加太線のお話面白く拝見しました。私達は”住金”って言いますが、もとは”新日鐵住金”なんですね。あんなのが有るとやはり空襲の標的になりますねぇ。
y&m
2018/10/16 06:17
のんさん、こんにちは。
前に折られた会長の言葉が生きています。
つまり”場慣れ”、経験則”です。
この数が多いと自信になります。
あまりおだてないでくださいね。
間違っているかもしれませんから。
セラ吉
2018/10/16 11:07
y&mさん、こんにちは。
加太線を調べだしてまだ6年です。
その代わり地元ですから、
集中的に勉強できました。
生きている間は加太線も
運行停止にはならないでしょう。
田舎の和歌山が空襲にあったのは、
南にある石油会社もあるので
狙われたのでしょうね。

一度有田のほうに”クエ”でも
釣りに行きますか?
タモくらい持ちますよ。
セラ吉
2018/10/16 11:12
紀ノ川橋巡りの、レポート、詳細な数字、現場主義で、一冊の本を刊行されて、官庁に寄付したら為になる😆
後二回、名残惜しい、❤
河西橋が、住金と関係🈶昔独身時代勤務したから、郷愁感じる🎵
亡き実父は、明治45年生まれ
106年の重味有りますね🍀
セラキチさんは、色んな事を乗り越え、強い精神力🙆ファイト✊‼
翔女
2018/10/18 00:23
翔女さん、こんにちは。
やっと朝の仕事を済まし、
パソコンでこんにちはというコメントを
送れます。

有難いことによく見て頂いております。
この方のグループでは
明治45年生まれのお方・・・
の話はできませんね。
元寺御殿の時は雨で省略!
もうがたがたでございます。
セラ吉
2018/10/18 11:41

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