紀州東照宮 和歌祭り
ハーイ!セラの家の管理人です。
和歌祭り(後で詳しく書きましょう)が、今のように形態となって20年位になると思います。私が
和歌の浦地区でボランティアを始めてから13年になります。それが不思議なことに和歌祭りにはほぼ毎年参加しています。ところがメインの108段の階段を神輿を下して来るところには一度も見ていなくて参加していません。周囲を神輿や行列を見ただけでは全く意味がないと考えました。
兼好法師も『徒然草』の中で言っているでしょう。『仁和寺のある法師、石清水を拝まんと欲し、出かけたが本殿を拝まないで周囲を見て帰って来たという』くだりがありますね。今まで私は周囲の行列を見て和歌祭りと思っていましたが、今年は神輿の降りの場所に挑戦しました。
こちらは最近加わった女子の神輿です。一段と華やかです。
東照宮・和歌祭り:徳川家康公の10番目の頼宣公が父を偲んで建てたのが紀州東照宮です。(この名前になったのはもう少し後になります。)完成した翌年から(1622年)から和歌祭りが始っています。頼宣公の意向で武士も町人も商人も又何か技を持っている人達に参加して、町全体の一体感を願ったようです。途中に中断があったり行列の場所が変わったりしましたが、今のようになったのはほぼ20数年前からと言われています。行列には順序があり、1、行列奉行2、打鉦(うちがね)3、神旗(じんき) ~と続き13番目に神輿が出て参ります。今は大体41個の演者(出し物)があるそうです。その昔は家康公の命日にあたる5月17日に開催されていたそうですが、祭日を外れると極端に人が少なくなったそうです。(観客だけでなく演者も仕事等で) そこで5月の第二日曜日に行われるようになりました。和歌山県では最大の祭りと言われています。コースもそれに合わせ和歌浦漁港に出て浜を通り、片男波の方に歩きます。北に曲がって不老橋(これは江戸時代後半です。)
あしべ通りを西に歩き東照宮に戻ってくるようになりました。今年のように炎天下では衣装を着けて歩くには大変だったと思います。
今年は395年の記念に当たり、出し物や演者それに新しく入れ替えた衣裳、面等が事前に取り上げられていまして、ヒートアップしていました。元論私が知人や関係者の方からの情報も好評で、自転車でも置く場所がないのではと脅されました。そこで直西側にある和歌浦天満宮の駐輪場に置き、早くからこの辺りを見て東照宮を目指しました。前にも書いた事がありますが天満宮の東側から潮騒の小径に出て、東照宮の玄関に行く道でした。
まだ少し先の行列に参加する方が座っていました。クリーンアップではお世話になっている保井さんで、これから3時過ぎまで大変だと言っていました。予想通り小学校のグランドを臨時の駐輪場も一杯でした。目指すは神輿の降る場所を確保する事だけでした。
神輿が下りる約1時間前に行きましたが、左右はもうすでに人で埋まっていまして沙也加の碑のある方の降った左側にやっと入りました。写真を撮るにはローアングル良いと思っていましたが、もうとにかく神輿が来て写せたらという気持ちになりました。
やっと降りてまいりました。神輿の前に来る山車ですが、予定よりも少し遅れたようでした。
やっと降りてきました。この場面では周囲の観客も声を出し、煽るのと、石灯籠などに当たりそうになり悲鳴ともいえない声がかかります。普段は案内する立場で”この急な108段の坂を神輿が担がれて下ります。1トン以上もある神輿ですから上の門の両サイドにはストップをかけるロープが張られ安全を確保しています。”何しろ待つこと1時間半、神輿が無事に通り過ぎてホッとしまして急に疲れを覚えました。
普段は広い駐車場ですが、この日は出し物の置く場所となり、又今日の式典の会場となります。知事、市長の挨拶の後、皆さん方は今日のコースを歩いていかれます。本来ならば、コースの半分も一緒に歩くつもりでした。そのためのコンビニで食べ物と飲み物も用意はしていましたが、人ごみに負けまして退散したわけです。和歌祭りにはお面を被った方が大勢参加しています。万葉薪能の会の幹部でした久保博山氏は毎年このお面を作っていらっしゃいます。弟子を育てるのと、お面の老朽化により数を合わせ毎年奉納されています。若い時に祭りに参加したいという気があれば久保先生や東照宮の宮司さんにお願いすれば参加できたでしょうが、最終的には年齢制限でストップを受けたでしょうね。仲間でこの神輿の降る時の写真をうまく取られているのを見せて頂きましたが、私にはこのくらいで精一杯です。
セラ吉3
和歌祭り(後で詳しく書きましょう)が、今のように形態となって20年位になると思います。私が
和歌の浦地区でボランティアを始めてから13年になります。それが不思議なことに和歌祭りにはほぼ毎年参加しています。ところがメインの108段の階段を神輿を下して来るところには一度も見ていなくて参加していません。周囲を神輿や行列を見ただけでは全く意味がないと考えました。
兼好法師も『徒然草』の中で言っているでしょう。『仁和寺のある法師、石清水を拝まんと欲し、出かけたが本殿を拝まないで周囲を見て帰って来たという』くだりがありますね。今まで私は周囲の行列を見て和歌祭りと思っていましたが、今年は神輿の降りの場所に挑戦しました。
こちらは最近加わった女子の神輿です。一段と華やかです。
東照宮・和歌祭り:徳川家康公の10番目の頼宣公が父を偲んで建てたのが紀州東照宮です。(この名前になったのはもう少し後になります。)完成した翌年から(1622年)から和歌祭りが始っています。頼宣公の意向で武士も町人も商人も又何か技を持っている人達に参加して、町全体の一体感を願ったようです。途中に中断があったり行列の場所が変わったりしましたが、今のようになったのはほぼ20数年前からと言われています。行列には順序があり、1、行列奉行2、打鉦(うちがね)3、神旗(じんき) ~と続き13番目に神輿が出て参ります。今は大体41個の演者(出し物)があるそうです。その昔は家康公の命日にあたる5月17日に開催されていたそうですが、祭日を外れると極端に人が少なくなったそうです。(観客だけでなく演者も仕事等で) そこで5月の第二日曜日に行われるようになりました。和歌山県では最大の祭りと言われています。コースもそれに合わせ和歌浦漁港に出て浜を通り、片男波の方に歩きます。北に曲がって不老橋(これは江戸時代後半です。)
あしべ通りを西に歩き東照宮に戻ってくるようになりました。今年のように炎天下では衣装を着けて歩くには大変だったと思います。
今年は395年の記念に当たり、出し物や演者それに新しく入れ替えた衣裳、面等が事前に取り上げられていまして、ヒートアップしていました。元論私が知人や関係者の方からの情報も好評で、自転車でも置く場所がないのではと脅されました。そこで直西側にある和歌浦天満宮の駐輪場に置き、早くからこの辺りを見て東照宮を目指しました。前にも書いた事がありますが天満宮の東側から潮騒の小径に出て、東照宮の玄関に行く道でした。
まだ少し先の行列に参加する方が座っていました。クリーンアップではお世話になっている保井さんで、これから3時過ぎまで大変だと言っていました。予想通り小学校のグランドを臨時の駐輪場も一杯でした。目指すは神輿の降る場所を確保する事だけでした。
神輿が下りる約1時間前に行きましたが、左右はもうすでに人で埋まっていまして沙也加の碑のある方の降った左側にやっと入りました。写真を撮るにはローアングル良いと思っていましたが、もうとにかく神輿が来て写せたらという気持ちになりました。
やっと降りてまいりました。神輿の前に来る山車ですが、予定よりも少し遅れたようでした。
やっと降りてきました。この場面では周囲の観客も声を出し、煽るのと、石灯籠などに当たりそうになり悲鳴ともいえない声がかかります。普段は案内する立場で”この急な108段の坂を神輿が担がれて下ります。1トン以上もある神輿ですから上の門の両サイドにはストップをかけるロープが張られ安全を確保しています。”何しろ待つこと1時間半、神輿が無事に通り過ぎてホッとしまして急に疲れを覚えました。
普段は広い駐車場ですが、この日は出し物の置く場所となり、又今日の式典の会場となります。知事、市長の挨拶の後、皆さん方は今日のコースを歩いていかれます。本来ならば、コースの半分も一緒に歩くつもりでした。そのためのコンビニで食べ物と飲み物も用意はしていましたが、人ごみに負けまして退散したわけです。和歌祭りにはお面を被った方が大勢参加しています。万葉薪能の会の幹部でした久保博山氏は毎年このお面を作っていらっしゃいます。弟子を育てるのと、お面の老朽化により数を合わせ毎年奉納されています。若い時に祭りに参加したいという気があれば久保先生や東照宮の宮司さんにお願いすれば参加できたでしょうが、最終的には年齢制限でストップを受けたでしょうね。仲間でこの神輿の降る時の写真をうまく取られているのを見せて頂きましたが、私にはこのくらいで精一杯です。
セラ吉3














この記事へのコメント
神輿降ろしの写真撮影、お疲れ様でした。
私も押し倒されそうになりながら、階段を降りる様を夢中で撮影したことがあります。
最近は他の行事と重なって祭り見物に行けていません。
400年記念の時まで元気でおれたら、その時は年初からスケジュールを確保しておきたいと思っています。
どうして場所が取れたのか不思議です。
400年祭の時は全く予想がつきません。
介護施設でテレビを見るのが精いっぱいでしょうね!
わずかでしたが迫力がありました。
和歌祭りお疲れ様
参加するだけではなく
ブログで色々な角度で紹介して
頂きありがとうございます。
神輿の担ぎ手 素敵ですね
いつもの 夫や子供の姿より数倍
頼もしく、凛々しく、そして神々しく
見えるのではないでしょうか
400年の時もセラ吉さん
まだまだ 颯爽と野山を駆け巡って
いると思いますよ
先の事は分りません。
いつも生意気にも言っているのは、
日々の生活に後悔しないように、
生きていきたいと思っています。
そういえば私が陣取っていた場所も
小さな子供を連れた若いママが
多かった。
主人のたくましい姿を見せたかったのかな!
私に出来るのは、怖い顔をして、
子供を泣かすことくらいかな。
待ったかいがありました。