岸和田に行く
ハーイ!セラの家の管理人です。
私が北九州市立大学の和歌山支部で幹事長を務めて4年近くになります。その間に和歌山支部便りを発行したり、支部総会の模様を同窓会本部に原稿を送ったりしてきました。今回取り上げます立山氏は関西支部に所属されている方で、今年の関西支部総会に出席された和歌山支部の有松支部長を訪ね酌を交わして私のことを聞いてくれたのです。帰られた支部長から立山氏のことを伺いましたが、記憶にはありませんでした。
翌日立山氏から電話があり、久しぶりに九州弁を聞きながら話をしました。私と同期で同じクラスでしたが、サークルが違い記憶はなかったようです。ただ私が最初に入った下宿に長崎県の諫早出身の友人が二人いました。立山氏は諫早出身で、多分学食などで話をしたことがあったようです。
彼の招待でお住まいの岸和田に伺うことになりました。私は1年生の二学期から新しいカメラを買い校内をカメラを持ってうろうろしていたようです。(アサヒペンタックスSP F1.4)
着いたのがほぼ昼頃でしたので、岸和田城近くにある”岸和田五風荘”というがんこに行きました。和歌山の堀止にあるがんこも庭園を売り物にしていますが、こちらもそうでした。
食べる物にはあまり言いませんので、彼がお昼の”にぎり膳”をごちそうしてくれました。お互いに50年近く前の大学のことが中心に話が弾みました。彼はパソコンをしないので、残念ながら私のブログは見てくれていませんでしたが大学の同窓会の会報は見ておられました。機会があれば私と接触したいと思っていたそうです。
ちょっと前にNHKで放送された朝の連ドラに”カーネーション”と言うのがありましたね。私は全部見たわけでありませんが、岸和田を舞台にされていたのは知っていました。彼は食後
”だんじり会館”や練り歩く裏通り(旧道)を案内してくれました。当然と言えば当然ですが、午後1時過ぎの裏通りは人が一人っ子いませんでした。そして最後に蛸地蔵”天性寺”を案内してくれました。朝早くからお疲れさんでした。
最後は岸和田駅より南に一駅行った蛸地蔵駅まで案内してくれました。昔自転車で息子が住んでいた羽衣まで走ったことはありますが、全く気がつきませんでした。機会があればまた
ゆっくりと来たいと思いました。 セラ吉3
私が北九州市立大学の和歌山支部で幹事長を務めて4年近くになります。その間に和歌山支部便りを発行したり、支部総会の模様を同窓会本部に原稿を送ったりしてきました。今回取り上げます立山氏は関西支部に所属されている方で、今年の関西支部総会に出席された和歌山支部の有松支部長を訪ね酌を交わして私のことを聞いてくれたのです。帰られた支部長から立山氏のことを伺いましたが、記憶にはありませんでした。
翌日立山氏から電話があり、久しぶりに九州弁を聞きながら話をしました。私と同期で同じクラスでしたが、サークルが違い記憶はなかったようです。ただ私が最初に入った下宿に長崎県の諫早出身の友人が二人いました。立山氏は諫早出身で、多分学食などで話をしたことがあったようです。
彼の招待でお住まいの岸和田に伺うことになりました。私は1年生の二学期から新しいカメラを買い校内をカメラを持ってうろうろしていたようです。(アサヒペンタックスSP F1.4)
着いたのがほぼ昼頃でしたので、岸和田城近くにある”岸和田五風荘”というがんこに行きました。和歌山の堀止にあるがんこも庭園を売り物にしていますが、こちらもそうでした。
食べる物にはあまり言いませんので、彼がお昼の”にぎり膳”をごちそうしてくれました。お互いに50年近く前の大学のことが中心に話が弾みました。彼はパソコンをしないので、残念ながら私のブログは見てくれていませんでしたが大学の同窓会の会報は見ておられました。機会があれば私と接触したいと思っていたそうです。
ちょっと前にNHKで放送された朝の連ドラに”カーネーション”と言うのがありましたね。私は全部見たわけでありませんが、岸和田を舞台にされていたのは知っていました。彼は食後
”だんじり会館”や練り歩く裏通り(旧道)を案内してくれました。当然と言えば当然ですが、午後1時過ぎの裏通りは人が一人っ子いませんでした。そして最後に蛸地蔵”天性寺”を案内してくれました。朝早くからお疲れさんでした。
最後は岸和田駅より南に一駅行った蛸地蔵駅まで案内してくれました。昔自転車で息子が住んでいた羽衣まで走ったことはありますが、全く気がつきませんでした。機会があればまた
ゆっくりと来たいと思いました。 セラ吉3











この記事へのコメント
半世紀ぶりに旧交を温められて良かったですね。
同級生といっても50年も経つと、こちらが覚えていても、相手が忘れていたり、こちらは思い出せないのに、あちらがよく覚えてくれていたり、いろいろですね。
関西支部総会を欠席したので、
支部長を通じて連絡してくれました。
お互いに仕事と家庭を持っていると、
仕方がないですね。
でも彼には九州弁が残っていたので、
なお懐かしかったですね。