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zoom RSS 紀ノ川と橋本市

<<   作成日時 : 2018/02/27 22:11   >>

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こんにちは。タイトルが変わったのではないかと思われる方もおられるでしょう。
前回も書きましたが、”紀ノ川”の流れの中で橋本市は大きいウエイトを占めています。
敬意を表しまして、あらゆる角度から見た橋本市を紹介したいと思います。

”紀ノ川”に架かる橋5
橋本橋
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橋本橋の左岸から写しました。

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右岸からです。

橋本橋(はしもとはし)
   所在地:橋本市
   形式: トラス
   施工: 1978年(昭和53年)
   長さ: 256.メートル

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橋本市のほぼ中央に架かる橋です。直ぐ北側には国道24号線が走り、南側に走ると国道371号線を経て高野山に向います。

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橋本橋から上流を写しました。川幅も広くなり綺麗です。
でもこの紀ノ川が1950年(昭和25年)にジェーン台風により甚大な水害が発生します。
市の調査では死傷者は1894人、家屋全半壊は13820戸、床上床下浸水は11612戸に及んだそうだ。1953(昭和28年)の紀州水害では全県に壊滅的な被害を受けたそうです。
多くの台風や水害の被害を少なくしようと1960年以降紀ノ川改修計画が策定されたそうです。

ここでちょっと”紀ノ川”を離れ、橋本市についてお話ししましょう。
橋本市は1955年(昭和30年)伊都郡をまとめる形で市制が敷かれました。そして2006年(平成16年高野口町と最後の合併して橋本市が現在のような市が出来ました。
1900年(明治33年)に現在の和歌山線が開通、引き続き1915年(大正4年)には現在の南海高野線が橋本まで開通して交通網が整備されました。

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橋本駅の南側からと駅の構内を写しました。
橋本駅には特急は”りんかん”と””こうや”が高野山にお詣りする方を運んでいます。
実際は紀見峠を越えて橋本市にはいった林間田園都市駅の方が乗降客は多いそうです。
南海電車がこの地を開拓して大規模な都市を造成、又企業誘致を図り開発が進んでいます。
現代用語で、大阪府民が多いと言われる所以です。それだけではなく橋本市から大阪の都心に通うのに高野線を使いますと堺東,天下茶屋(てんがじゃや)、新今宮、そして難波です。その前に河内長野駅では近鉄線にも乗換が出来ます。夫々の駅から地下鉄や他の交通会社にも乗換が出来ます。北野田駅では和泉中央にも行けます。もとより橋本市民は和歌山よりもはるかに大阪のメインの場所に便利なのです。(駅までの時間と駅からの目的地は各自バラバラです。)
元よりJR和歌山線では和歌山市、奈良方面にも行けます。ちょっと時間が掛るのが玉に疵!!でも各方面に行ける便利な場所です。

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今日は市役所の駐車場に車を置かせてもらい歩きました。
なぜ橋本市というようになったか?
1585年(天正13年)木喰応其(もくじきおうご)上人が古佐田村の一部を再開発します。続いて
紀ノ川に130個の橋を架けたそうです。残念ながら早く壊れたそうです。それが橋本市の由来と言われています。”紀ノ川”の南北に住む人や、高野山にお詣りする人には大変便利になりました。
和歌山を制圧した豊臣秀吉から北岸に屋敷を認められ、町の助成の為の塩市の特権も認められたそうです。

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今お話をした応其寺です。これほどの立役者のお寺だから、もっと分り易い場所にあると思いました。又もっと立派な寺かと思いました。有難いお寺だったので、賽銭ははずました。

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橋本市と言えば忘れることのできないお方です。
前畑秀子さんです。今朝の連ドラの候補に挙がっているとかで、盛り上がっています。
東家(とうげ)のメインの交差点の傍に新しいプレハブの事務所が出来ていました。この交差点は東西に走る大和街道(伊勢街道)と南北に走る高野街道の交差する要衝にあたり代官所も設けられたそうです。
先ほど書きましたが林間田園都市のようなモダンな土地があるかと思えばフルーツの盛んな町でもあります。それと忘れてはいけないのが『へら竿』があります。ヘラブナ専用の竿で、橋本市の基幹産業でもあります。全国の約90%を誇り、和歌山県では伝統工芸品第一号に指定されています。
人口も最盛期の2000年には7万人を超えていましたが、いろいろな要因があり現在では
62000くらいにまで減っているそうです。(2017年10月1日現在)

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ちょっと私の感じをお話しましょう。先ほど書きましたが豊臣秀吉が和歌山を平定したのは
1585年です。その後徳川氏が和歌山に頼宣(よりのぶ)という家康の10番目の息子を派遣して御三家となります。田辺や新宮には有力な家老を配置しますが、ここ橋本には大事な要衝にしては代官所だけです。(当然”紀の川”を上り下りして塩を運んだことでしょう。)
しかも藩のトップから塩の専売を認めてもらっていたというのも特殊です。紀ノ川の船の運航を一手に引き受けていたと思われる有力者が出てこないのです。
(今回もウイキペギィアさんから勉強させてもらいました。)

高野山の意向が強いのか、又右岸で力を持っている隅田(すだ)党が裏で糸を引いているのか分りません。当時の貴重品の塩の専売を認めてもらっていたこと、左岸の方には多くの
渡し常夜灯が並んでいたという事を考えると、進んだ町だった気がします。

話はまるで変わりますが”橋本”という地名は全国で沢山あります。でも橋本で書くのは和歌山県だけです。他の場合は○○橋本という旧の地名がつくのですから和歌山の橋本は立派です。私達が中学校時代に東京に修学旅行に行ったときは、専用列車で橋本、王寺、亀山
名古屋を通り東京まで行ったものだった。夜行ではさっぱり寝ることが出来なかったlなぁ!

まだまだ書きたいことがあるのだけれど、後橋本市で”紀ノ川”に架かる橋は2か所あります。
漏らさないように再度勉強します。      続く

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
セラ吉さん、こんにちは~♪
中世から、近世、現代にいたるまで交通の要衝であり続けている橋本市、なのに何故人口が流出していくのだろう?
市場規模の小さい「へら竿」が基幹産業ではやはり限界があるのかな・・
のん
2018/02/28 14:42
のんさん、こんばんは。
これはやはり和歌山県の地盤沈下と
無縁でがないと思います。
昔は水が中心ですから、
水利を活かせたでしょう。
お隣の五條市も同じように
減少しています。
交通の利便性を活かして
高野山をもっと活用できたらと
思います。
セラ吉
2018/02/28 17:45
セラ吉さん 橋本市がヘラ竿シェア90% とは知りませんでした。近くで良い竹が手に入るんでしょうねぇ。熊野古道を歩いている時に、鹿ケ瀬峠を越えた原谷地区で黒竹の杖を地元のご老人から貰ったのを思い出しました。今も大事に保存してます。(^^♪
y&m
2018/02/28 21:02
y&mさんこんばんは。
釣りの方はさっぱりだめですが、
一応竿は何セットかおいています。
友が島に鯛でも釣りに行きますか?
竿の材料に使うかどうか知りませんが、
紀ノ川筋には多く見られます。
でも竿が日本一でも、
橋本市は平地が少ないですから、
果物に頼るのでしょうね。
セラ吉
2018/02/28 23:45
橋本橋、左から読んでも、右から読んでも同じですね。
「橋本」の名称の由来は、1588年、高野山の木食応其が紀の川に橋を架けたことによる。
とあります。
木食応其が架けた橋が橋本橋ですか?

ジェーン台風の昭和25年は、私がまだ2才だったので知る由もありませんが、甚大な被害があった事を後年知りました。
橋本市の人口は現在6万2千人ですが、昭和25年は旧橋本市で32180人とあります。
死傷者が1894人とは、その6%近いので凄い割合ですね。

紀見峠駅は昨年11月の「岩湧山の茅の原」で下山に使用しましたが、次回は紀見峠まで下って行きたいと思っています。
「和歌山県で唯一大阪都市圏(都市雇用圏)に含まれる市で、いわゆる和歌山府民が多い。」
とありますので、大阪府橋本市と言っても過言ではないようです^^)
それで、橋本さんが大阪府長になった!^^
アルクノ
2018/03/01 20:00
アルクノさん、こんばんは。
物凄いご無沙汰した感じ!
でもいつものアルクノ節が好調で、
ほっとしました。
最後に書かれていた大阪市の
市長の橋本氏だったことをすっかり
忘れていました。
一度電車で行きましたが、
間違いなく大阪圏でしたね。
セラ吉
2018/03/01 21:59
セラ吉さんこんばんは
橋本て 大阪・奈良・和歌山
と利便性が高い所なんですね。
昔から 交通の要所だったのですか
県内ですが 馴染みが薄いです。

高野山といおうか 真言宗と
言っていいのか、空海があまりにも
超人的な方だったので、それに続く
僧が いないと思ってましたが、
木食応其上人や覚鑁上人など
優れた人を傑出してますね。
応其寺 一度訪れたいです。

今日は大歳神社から家まで歩き
ましたが、
徳號寺、門だけを残しすっかり
平地になってました・・・
江戸時代から続く 雑賀衆の道場
でもあったのに 残念です・・・
ローズ
2018/03/04 19:18
ローズさん、こんばんは。
すみません。
少し橋本の方にばかり行っていました。
灯台もと暗しでございます。

これでも木本八幡宮から、
車駕之古址古墳の方までは
自転車でよく走ります。
徳號寺の方をもう一度歩いてきます。
やはり檀家の数が減ったからでしょうか。
あの旧道では大変でしょう。
かつらぎ町に来ますと、
かなり自転車で動きやすくなります。
今日加太のガイドで案内したのは
かつらぎ町の方々でした。
紀ノ川の事を聞くと、
あまり評判が良くないのですよ!
困った。
セラ吉
2018/03/04 23:13
セラ吉さん、こんばんは。
私の故郷、橋本市を取り上げて頂きありがとうございます。
へら鮒の竿を創っている竿師、私の同級生の中にも竿師を親に持つ人が何人かいました。
小学校時代の初恋の彼女の親も竿師、中学校に入ってすぐの彼女の親も竿師でした。
古道ウォーカー
2018/03/11 23:20
古道ウォーカーさん、こんばんは。
確か橋本と聞いた記憶がありましたが、
間違っていたら教えて下さい。
何度も橋本に足を運びましたが、
”ヘラ竿”を扱っている場所が分らず、
探しました。
次回に”柿の葉寿司”と合わせて
アップしたいと思います。
結構橋本から時間が掛りますね。
セラ吉
2018/03/12 00:08
ヘラ竿をつくっているのは、橋本市でも紀ノ川の南岸、すなわち旧学文路地区です。現在の字で言うと、橋本市清水、学文路。ヘラ竿の製作工程を見せてくれる施設ができているかどうかは知りません。必要であれば、市役所の商工課に問い合わせて下さい。
古道ウォーカー
2018/03/12 01:18
古道ウォーカーさん、こんにちは。
すみません。見過ごしていました。
1月中ごろの寒い時期に、
清水の方を歩いたのですよ。
そうでしたか?
確か何軒かありました。
一度挨拶をしてお聞きしましょう。
このネタは橋本市を離れても使えます。
高野線の鉄道ももう直開通すると思います。
国道24号線よりも左岸の方がいいですね。
有難うございます。
セラ吉
2018/03/12 11:35

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